とある夏の日に私は立ち止まる。
信号が赤だからか。
いや違う。
今に疲れ果てて、
そして未来に迷っていたからだろう。
自分は、
今のままで良いのだろうか。
思い返せば今の自分は、
立ち止まって考えた事すらなかった。
しかし、
今の私は迷っているのだ。
だから、
今自分は一度立ち止まっているのだろう。
自分にとって何が正しいのかを考えるために。
とある夏の日に私は立ち止まっている。
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”正しいという字は一に止まると書くのね。”
こんな表現をとある作品で見かけました。
これを初めて見た時、
「そう見れるのか」と感動した覚えがあります。
私もそうですが、
どんどん前に突き進んでいる時こそ、
自身を客観的に見れなくなっている事があります。
自分の進んでいる道や行為は正しいと信じているが、
実際は迷いを隠しながらかもしれませんし。
「もしかしたら、自分は今疲れ果てていて、
休息を欲しているのか?」と思っているけど、
「まだまだ行けるぞ」と強がっているだけなのか。
疲れ果ててしまい、
どこか足取りが重くなった時。
自分は本当に何がしたかったのか。
自分にとって何が正しいのか。
何かに迷ってしまった時。
そんな時は、
一度立ち止まって、
空でも見上げたり水平線を眺めてみたりするのも、
悪くないのではないのでしょうか。
きっと答えはすぐには見つからないかもですが、
一度立ち止まれば、
自分にとって何が正しいのか、
自分が信じるべき道が分かるような気がします。
因みに、
”正しいという字は一に止まると書くのね。”というのは、
「神様のカルテ」に出てくる表現です。
良かったら読んでみて下さい。
では。